Japana Sociala Forumo
最悪の化学兵器がいまもなおベトナムで多くの被害を生み出し続けている。オレンジ剤などで知られる枯葉剤である。アメリカのダウケミカル社製とされていたその兵器の製造に日本の企業が加担していた疑惑が35年の時を経て再び浮かび上がってきた。
1960年代に米軍はベトナムで大量の枯葉剤を空中散布して森林や田畑を壊滅状態にした。これが「枯葉作戦」だった。90年代始め、ゴミ焼却に伴うダイオキシンが日本中で注目されていたころ、しばしばこの枯葉剤による被害の映像が放送されていた。
これまで枯葉剤そのものは日本との関係で意識されることはなかった。しかし、この化学兵器に日本が深く関わっていた疑惑がある。さらに、日本の国土をダイオキシンで汚染した農薬も実は枯葉剤製造の副産物だった。
ダイオキシンが語る農薬PCPの秘密
99年1月、横浜国大の中西準子教授たちが農家の納屋に残されていた古い農薬を分析し、農薬由来のダイオキシン汚染の実態を調査した【1】。その結果、ゴミ焼却由来のダイオキシンよりも、60年代以降に水田で大量に使用された農薬PCPとCNPに含まれていた不純物ダイオキシンの方が、はるかに国土を汚染していたという事実が明らかとなり【2】、当時ゴミ焼却対策一辺倒であったダイオキシン対策に一石を投じたのは記憶に新しい。
この古い農薬の調査で、中西たちは(ア)1965年を境にPCP中のダイオキシン濃度が急激に低下している、(イ)CNPにはダイオキシンのなかで最も毒性が高い2378TCDDがまったく含まれていない、という2つの奇妙な特徴に気づいた。
なぜダイオキシン濃度が突然低下しているのか。中西は、農薬メーカーである三井化学(当時は三井東圧化学)が、実は当時からダイオキシンの存在を認識していたのではないかと疑問を投げかけている。ところがこのことを学会で報告したとたん、三井化学と農水省は告訴すると言い出し、中西自身も戸惑ったことが彼女のホームページに記載されている【3】。三井化学がここまで過敏に反応した理由はいったい何なのだろうか?
国会の爆弾男が三井化学を追及
そのなぞを解くひとつのカギは、国会議事録の中にあった。「国会の爆弾男」の異名で知られる楢崎弥之助代議士(当時社会党)が、69年7月23日の衆議院外務委員会で、ベトナム戦争で大量に散布された枯葉剤を三井化学が製造し輸出していたのではないかという疑惑を追及していた【4】。
楢崎によれば、三井化学大牟田工業所で67年の終わりに245Tないし245TCP(245Tの原料)を急に生産開始したという。245Tとは、ベトナム戦争で最も大量に散布された枯葉剤の主成分で、24Dとの混合物として利用された物質だ。その製造過程で爆発事故があり、約30人が被災した。その薬剤は市販されておらず、工員はガスマスクをして秘密工場のような状態で操業しているとも彼は指摘している。
そして楢崎は、67年4月に出た米ビジネス・ウイーク誌が、「米軍がアメリカの生産能力の4倍にも相当する245Tを発注」と報道したことをとりあげ、「発注目的は米軍が枯葉作戦でベトナムに使うためであり、この時期に三井化学大牟田で秘密裏に製造し始めた245Tは当然ベトナム向けではないのか」と政府に詰め寄った。
楢崎の調査要求に対し、答弁に立った厚生省の官僚は「わかりません」と繰り返し、「調査する」と答弁したが、その後、楢崎に報告されることはなかった。楢崎発言の翌日に三井化学(当時は三井東圧化学)の平山威副社長は通産省、厚生省を訪問後、記者会見し、245Tと245TCPを生産していることを認めた。枯葉作戦への利用については「ベトナムに直接輸出していない」という表現で否定している【5】。
しかし、米軍が大量の枯葉剤を欲していたこの時期に、しかもタイミングを合わせるように日本で245Tとその原料約700トン(年産)が製造されたことはまぎれもない事実だ。しかもそのうちごく一部が国有林で散布されたことがわかっているが、それ以外は何に使われたか今もって闇の中なのである。
枯葉剤散布量との奇妙な一致
PCP・CNPと枯葉剤との関係を時系列で整理してみよう。中西が指摘したダイオキシンを含む農薬PCPは、枯葉作戦の期間とほぼ同じ期間、三井化学で生産されていた。PCPとCNPの生産量の推移と、米軍による年次別枯葉剤散布量を図示すると図1のようになる【6】。
PCPは60年以降生産が急拡大している。62年には水田から流れ出したPCPが海や河川を汚染し有明海、琵琶湖などでの魚の大量死事件を引き起こしたと見られているが、その後も大量のPCPが生産され続けたことを示している。そして、枯葉作戦が本格化する65年以降、PCP生産量と枯葉剤消費量の関係は奇妙な一致を見せて上下し、同時期にCNPの生産が始まっている。そして、枯葉作戦終結の71年をもってPCPの生産もほぼ終息している。
この間に三井化学はPCPの製法を変更したことが「三井東圧化学社史」に記載されている。この製法変更に他の国内PCPメーカーが追随できず、三井化学が国内唯一のPCPメーカーとして君臨するにいたったという。中西が指摘したPCP中ダイオキシン激減の謎はこの製法変更に由来すると考えられる。では、三井化学はなぜ製法変更に踏み切ったのだろうか。外部からダイオキシン抑制の要請があったからではないか。この時期日本では、まだダイオキシンの問題は一般には認識されてはいなかったし、後述するように三井化学では従業員の被災は生産にほとんど影響を与えていない。内部から要請があったとは思えない。
1965年以前の関与
楢崎は67年以降の三井化学による枯葉剤製造疑惑を追及したが、冒頭に紹介したダイオキシン濃度の変化から、三井化学は65年には既にダウケミカル社から重要な技術情報を得られる立場にあったと思われる。それは枯葉作戦当初から、枯葉剤原料である245TCPの供給メーカーとして深く関与していたからではないか。
60年代前半のPCPと枯葉剤の不一致の時期は、ちょうど枯葉剤散布実験の最中だ。この時期にも大量の枯葉剤が必要とされていた。では、65年以前に、三井化学は245TCPを生産していたのだろうか。
三井化学大牟田工業所で生産される薬剤を製品化していたのは、三井化学の子会社である三西化学荒木工場だった。62年10月、三西化学荒木工場に、被害住民の要請で厚生省の調査団(上田喜一東京歯科大教授)が入った。ところが調査団は奇妙な事実に突き当たり困惑する。その工場の製品PCPは、本来ならば5塩化フェノールであるはずだった。しかし実際の製品の組成は、不純物である4塩化フェノール(T4PC)が6割も占め、PCPとは呼べない奇妙な組成であったのだ。排気設備の付着物ではさらに4塩化フェノール以外の大量の不純物が認められた。
あまりの異常さに、上田は組成の特定を保留し、三井化学に対して不純物の少ないPCPの提供を求めているほどだ。調査団は他社のPCPについても分析したが、不純物はほとんど検出されなかった。三井化学だけが、なぜか不純物の方が多い奇妙な組成のPCPを生産していた。当時の製造方法、併産農薬の種類及び不純物組成から類推して主たる生成物は3塩化フェノール、とりわけ245TCPであった可能性を否定できない。
「最も悪質な薬品」
先に挙げた三西化学荒木工場は60年夏に急遽設立され、農薬取締法も毒劇物取締法も無視して操業を続けた。当然、創業当初から周辺住民の苦情が絶えず、裁判になっている【7】。その裁判(三西化学農薬裁判)の記録の中に、次のような証言がある。
枯葉作戦中止間近の70年3月に、三西化学の工場近隣で庭木が枯れる事件があった。工場長代理が長年の被害者宅を訪ねた。彼は緊張した面持ちで話した。
──実は本社命令で東南アジア向けに最も悪質の薬品を再ねりして作っています。もうあと1週間で終わります。次回からは幹部全員土下座しても断ります──
工場長代理はさらに次のように訴えた。
──実は私もいやでなりません。でも工員の給料等のため、やむを得ず承知しました。本当にすまないと思っています──
工場長代理が語った東南アジア向けの「最も悪質の薬品」とは何なのか。福岡県衛生部が、71年5月に三西化学に対して245T製造の有無を書面で問い合わせている。ところがその3日後、三西化学は「製造の事実はない」と返答、福岡県も立入調査もなしに調査を終了した。69年夏の楢崎質問の直後に、親会社・三井化学の副社長が245T生産の事実を認めていたにもかかわらず、だ。三西化学は何かを隠している。「最も悪質な薬品」こそ245Tを含む枯葉剤関連薬品ではないか。そう考えれば、三西化学がその製造の事実をひた隠しにした理由も見えてくるではないか。
62年2月に4階建ての工場ができた。保健所の松田技師が構造上の問題を指摘している。三西化学農薬裁判の記録には、ちょうど米軍の枯葉作戦開始と軌を一つにして、次の証言がある。
──再三に亘って自分は忠告したが、(三西化学は)本社命令で生産が間に合わない、それはわかっているんですけれども、本社命令で間に合わないと、ただ繰り返していた──
さらに裁判記録には、工場内の悲惨な状況も描写されている。
──工場はですね。もう36年(1961年)頃でしたか。技師の方が朝出勤して、タクシーで運ばれる途中で死んだとか、女工さんたちは、いつも皮膚炎でたまらないとか、袋詰めのところにおると喘息になって困るんだというようなふうで・・・──
「生産が間に合わない」ほど需要があった薬剤、周囲の被害を後回しにしてでも急がなければならなかった薬剤とは・・・。62年は米軍による枯葉剤散布実験の最中だ。ここにもまた、奇妙な符合が見いだせる。ともあれ農薬PCPは、工場従業員、住民、水産業などに多大な被害を出しながら枯葉作戦が中止になるまで生産され続けた。この真相は必ずや明らかにされねばならないだろう。
【1】Shigeki Masunaga, Takumi Takasuga and Junko Nakanishi, "Dioxin and dioxin-like PCB impurities in some Japanese agrochemical formulations," Chemosphere, Vol.44, pp. 873-885 (2001).
【2】http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak31_35.html#zakkan33
【3】http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak171_175.html#zakkan174-2
【4】国会議事録、第061回国会、衆議院外務委員会、第33号、1969(昭和44)年7月23日。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0110/06107230110033a.html
【5】1969年7月25日付朝日新聞、日経新聞他。
【6】中南元『ダイオキシンファミリー』北斗出版。
【7】三西化学農薬被害事件裁判資料集編集委員会編『三西化学農薬被害事件裁判資料集』葦書房。
編集/安濃一樹
ヤパーナ社会フォーラム
http://japana.org/
mailto:kazuki@japana.org