Japana Sociala Forumo
厚生省は自治体にダイオキシン対策を「突然に」命じました。それまでは測定もまかりならぬと言い渡されており、国からの財政支援も決まっていなかったのですから自治体の困惑は想像できます。自治体の猛反発にあい、このときの実施は見送られました。厚生省はなぜこんな「突然の」通達を出すことになったのでしょうか。
80年代後半は香川県豊島や岩手・青森県境など各地で産業廃棄物の不法投棄が問題になっていました。それをうけて90年6月に厚生省の廃棄物対策に大きな変化が生じます。それまでダイオキシン対策を立案していたのは水道環境部環境整備課でしたが同じ水道環境部の計画課長に着任した荻島国男氏(70年入省)がゴミ問題の最前線に立つことになったからです。彼は現場を徹底的に調査して、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」の改正原案をわずか半年あまりで作成しました。この法案には事業者(企業)の責務がきわめて具体的に明記されており、「大量消費社会」との決別を宣言するような画期的な法案でした。ドイツではこ れに先立つ86年に同様の考えに基づく「廃棄物の発生回避及び適正処理に関する法律」が制定されており、環境立国の道を歩み始めようとしていました。
改正原案の核心は拡大生産者責任(EPR)導入による廃棄物の発生抑制です。EPRとは生産者の責任を、製品の製造・流通時だけでなく、製品が廃棄されてリサイクルまたは処分される段階まで拡大する考え方のことで、廃棄後の処理費用は生産者が負担することになり、製品価格への上乗せになります。しかし、同時に、生産者においてサイクルしやすかったり、処理・処分時に環境負荷が低いといった製品開発が進み、より効率的で低コストな廃棄物処理を実現しようというものです。
この法案を立案した厚生省水道環境部計画課は、製品価格への処理費用上乗せを回避したい通産省や、ダイオキシン特需を目論む厚生省水道環境部環境整備課と鋭く対立することになりました。
90年12月、計画課の提出した原案には「直接の排出者でない企業に懲罰的に責任を追及するのは妥当ではない」として、省内だけでなく各政党からも荻島氏への反論が続きました。通産省は回収・処理費用のほとんどを自治体に負担させる「リサイクル法案」(91年2月成立)で対抗しました。
こういう背景の中、厚生省の旧ガイドラインは同年12月「突然」公表されることとなったのです。
各方面からの圧力の中、91年2月の二次案には事業者の責務「回収義務」は、「協力」という言葉に、廃棄物の「発生抑制」(処理費用の製品価格上乗せで生産者に責任)は「排出抑制」(リサイクル等で自治体が多くを負担)に、事業者の処理「適正価格委託」は削除されました。
91年5月、荻島氏にガン告知があり、彼の不在中、原案とは似て非なる最終改正案が10月に成立しました。そして、翌年4月28日荻島国男氏逝去…。
今現在、地方自治体は過大なリサイクル費用、ゴミ焼却費用負担に喘いでいます。産業廃棄物の不法投棄も後を立たず、最終処分場も逼迫しています。もし、企業責任を明確にしたこの法案が成立していたらゴミ問題はもっと違った形になっていたかもしれません。ドイツもその後迷走しているようですので、この法案が原案のまま成立したとしてもゴミ問題やダイオキシン問題が解決していたとは言い切れませんが。
ダイオキシン特需への道はその後さらに大きな壁に突き当たるのです。
編集/安濃一樹
ヤパーナ社会フォーラム
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