Japana Sociala Forumo

ダイオキシン問題小史

第3回空白の7年(2)自民党政権の崩壊

原田和明

ダイオキシン特需が7年もの難産であった最大の理由は、自民党の政権脱落と無関係ではなかろうと思われます。厚生省が拡大生産者責任の導入を回避した後、92年5月には「産業廃棄物の処理に係る特定施設の整備の促進に関する法律」(建設省建設経済局調整課)を、その後「産廃処理特定施設整備法」など ゴミ処理に関する施設建設に補助金をつける法案が整備されていきました。12月には産業廃棄物処理事業振興財団が設立されました。93年には、ゴミ固形燃料[RDF]化施設を廃棄物処理施設とみなし、補助金対象に認可しました。

旧ガイドラインもこうした財政支援、及び実態把握と三位一体で意味をなすものです。ただ、ここでも実態把握は後回しになっています。この秋、岡光厚生事務次官が彩グループに「廃棄物事業で補助金」を指南するという事件も起きていて、廃棄物関連事業の利権化の一端が伺えます。

このように法整備が着実に進む一方、政界では大きな異変が起きていました。80年代末のリクルート事件以降、92年に竹下元首相が「皇民党ほめ殺し事件」で国会喚問、93年3月に金丸信が脱税容疑で逮捕と続き、ついに夏には自民党が分裂、細川連立政権が誕生しました。これ以後、村山・自社さ政権退陣までの2年半に亘り、ダイオキシン政策は地に潜ってしまいます。このことは何を意味するのでしょうか? たまたまなのか、自民党の利権と深く結びついているのかは分かりません。村山内閣末期の95年11月になって、毒性評価、安全基準作成を目的に「ダイオキシンのリスクアセスメントに関する研究班」が設置された以外、ダイオキシンに関してほとんどみるべき政策はでてきませんでした。

橋本第一次連立内閣成立から再びダイオキシン政策が動き始めます。先陣をきったのは、それまでダイオキシン問題には触れてこなかった環境庁でした。96年5月29日に「ダイオキシン排出抑制対策検討会」「ダイオキシンリスク評価委員会」初会合を開き、12月19日には「健康リスク評価指針値5pg」を答申しています。

これに対し、厚生省生活衛生局長が「ダイオキシン行政は厚生省の仕事」と環境庁の「検討会設置」に不満を表明しています。このとき先を越された厚生省には激震が走っていました。菅厚相の指示からエイズ事件に絡む議事録がこの春「発見」され、厚生省は世間の批判にされされていたのです。主導権を取り戻すかのように、厚生省は6月28日にTDI[耐容一日摂取量]として 10pg-TEQ/kg/day を提案する中間報告をし、さらにその直後の7月12日には「ごみ焼却施設からのダイオキシン排出実態等総点検調査」を都道府県に通知します。ついに10年に亘って封印してきた(本来、旧ガイドライン通知時点で実施予定だった?)ゴミ焼却炉からのダイオキシン排出量を測定することになり、ダイオキシン特需へのスタートが切られました。折りしも11月に橋本第二次内閣がスタートし、ダイオキシン特需へのスタートは自民党単独政権が復活した時期と重なります。

こうして問題の97年が始まり、早速1月23日に厚生省から旧ガイドラインに代わり、新ガイドライン(ダイオキシン類削減プログラム)が公表されました。このとき排出暫定基準として 80ng-TEQ/Nm3 が示されました。この暫定基準は実測地点の90%が合格するという、不適合炉を使用禁止にするには適当なレベルであり「まことによくできた」基準でもありました。85年当時の基準1250では不適合炉はなく、建替えの必要はないということになってしまいます。その時々の基準値は厚生省の意図の反映であると考えた方がよいかもしれません。さらには「廃棄物処理におけるダイオキシン類標準測定マニュアル」が発行されたのは新ガイドライン公表の翌月でした。

このような経緯を経て97年は誰にも予想されなかったような勢いで「ダイオキシン騒動」がまきおこるのです。

編集/安濃一樹
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