Japana Sociala Forumo

ダイオキシン問題小史

第9回構造指針から性能指針へ

原田和明

90年代後半になって、ダイオキシン対策+最終処分場延命策としてガス化溶融炉という技術が紹介されましたが、80年代のダイオキシン対策研究では、特に検討されたわけではありませんでした。

当時、国は廃棄物処理施設について構造指針というものを定めていました。構造指針とは、この機械はこういう機能・性能を持つということを細かく全部決め、その機械設置を義務付けるものです。しかし、ガス化溶融炉はこの基準の中に入っておらず、指針外協議という形で1件づつ実証運転の運転データを持って、構造指針に適合するか否か判断する必要がありました。

そこで、廃棄物研究財団が評価事業を始めたのです。学識経験者等を入れた委員会において、運転したデータを審議し、「これならば国が補助金を出しても大丈夫な技術だ」と評価を行ない、その結果を「技術評価書」として認証しました。96年4月、三井造船の廃棄物熱分解溶融プロセスが第一号の「技術評価書」を取得しました。

しかし、その実態について共同開発者でもある横浜市の担当者は次のように語っています。

──わずか20トン規模の実証炉ですから100%実用に造っていない面もあり、周辺のトラブルがなかったわけではございませんけれど、スラグができなかったとかそういうことは一度もなく2年間やってきました──

──(溶融炉を採用するのか?との質問に)横浜市とすれば採用はございません、と答えました。なぜならば、横浜市は焼却炉1炉の規模が400トンがベースであり、1工場が1200トンといった非常に大きなものを造っていましたが、ガス化溶融炉では1炉400トンクラスは無理と考えていたからです──

2000年以降、他の2つの団体が同様の認証事業を始めますが、審査料が600万円、審査期間は半年とのことですので、どの程度のことができたでしょうか...。この「技術評価書」をもとに福岡県八女市で110トン × 2炉が最初に採用され、愛知県豊橋市では200トン × 2炉が建設されました。横浜市の例では2年間をかけて上記のような担当者の感想だったのですが。

この流れを追認?するように、2000年4月、廃棄物処理施設の国庫補助事業について、国が定めた構造要件の「構造指針」が廃止され、新たに性能として要求すべき基本的事項のみを規定した「性能指針」が策定されました。技術の採択は基本的に施設を発注する側(市町村)の責任と判断に委ねられることになったのです。しかし、急速に発展している技術開発について、すべての発注者がその内容を正確に理解することは極めて困難でした。

なぜ、このとき「構造指針」は廃止されたのでしょう。地方分権の流れで市町村の責任を明確にしたといいますが、ガス化溶融炉など新しい技術を国庫補助事業とするには「構造指針」は邪魔だったという面もあったかもしれません。

ではなぜ、「構造指針」がそれまであったのでしょうか? 市町村が技術内容を十分に把握することは困難だったので国が親切に構造まで指定してあげた?のかもしれません。もともと70年代に廃棄物処理施設の国庫補助事業の要件として、電気集塵機設置を「構造指針」として義務付けたのが始まりです。電気集塵機は大型焼却炉にしか設置できませんでしたので結果として特定の大企業(5社会=70年代から談合を繰り返したとして98年に独禁法違反容疑で立入検査)に国庫補助事業が集中することとなりました。今でも5社会で焼却炉売上の7割前後 を独占しています。

80年代にダイオキシン対策研究が進むと、皮肉なことに「構造指針」として義務付けた電気集塵機がダイオキシンの主たる発生源のひとつであることがわかってきました。89年に電気集塵機からバグフィルターへの変更という提言を拒否したのも、「構造指針」との関係があったのかもしれません。

90年は転換点でした。もし、このときに「構造指針」を廃止してバグフィルターを採用していたら...。そして、拡大生産者責任を取り入れた廃掃法改正案が成立していたら...。環境立国として再生の道を歩き始めていたのかもしれません。97年からの「ダイオキシン騒動」のはるか以前の話でした。

編集/安濃一樹
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