Japana Sociala Forumo
キャンプで出会った人びと
翻訳 井上利男/TUP速報540号(05年9月5日)
いわゆるシンディ・シーハン現象が、全米(そしてTUP速報)を賑わしている今、サンフランシスコのレベッカ・ソルニットはどこにいて、どうしているのかな、と思っていると、案の定、便りが届きました。シンディ・シーハンがクロフォードのブッシュ牧場近くの路傍で座りこみをはじめた2004年8月6日。この日は、作家ソルニットの言うミレニアムの起点、新しい時代が開いた瞬間のひとつなのでしょう。時あたかも巨大ハリケーンがアメリカを激しく揺さぶった今、歴史が大きく動く予感がします。
05年8月31日(水曜日)
エイミーあてEメールの追伸として、これを書きはじめましたが、他の皆さんにも第一報として喜んでいただけると思ったものですから・・・
PS あなたはシンディを大好きになるでしょう。ノッポで痩せぎすなので、若いころ、たぶんヤナギさんと呼ばれていたんじゃないかというタイプの女性であり、今は柳のように枝垂〈しだ〉れてます。弛〈たる〉んでるということではなく、ソフトでアンバランス、子どもをおぶってるみたいに前かがみ、長い茶褐色の肢体と垂れ下がったブロンドの毛髪、小さな者に視線を向け、与え、話しかけるためなのか、いつもうつむきかげんの皺が寄った顔、世界の重荷が少しは彼女を造形したのでしょう。
けれど、すごくおかしくて、悪舌家でもあり、一日中、多くの人たちにハグ[抱擁]したり、代理人を立てた大統領だけは別にして、だれをも拒まず、何十回もインタビューをこなし、とても、とても優しい。彼女は、第一子を失った大きな悲しみを昇華させる。この英雄的な目的意識に促され、別世界からのエネルギーの経路そのものになった。エゴや野心に邪魔されず、エネルギーが彼女をひたすら貫いて流れるのだと私は思います。
彼女は自分がそこにいる理由を決して見失わないし、他の人たちのためにもじゅうぶんな理由を備えてくれているようです。それでいて、映画スターの振る舞いを身につけ、あるいは世のママたちが知るごとく、いかにして2分間の休憩を目いっぱい活用するか、いかにして常に気分転換を図るか知っているようなところもあります。何千人もの人びとが彼女を愛し、彼女がやったように、世界を変えるために頼りにするようになるという気づきが、もうひとつの家族を実現し、彼女へのもうひとつの愛を培ったのだと私は思います。
私と共同してコード・ピンクを立ち上げた友人、ジョディは、主だった世話人のひとりであり、私は、彼女とシンディ、それに若いコード・ピンク仲間と一緒にキャンプ・ケイシーを出たり入ったり車を乗り回し、彼女たちやアン・ライト退役大佐(2003年3月19日[対イラク攻撃開始日]に辞任したキャリア外交官)が切り盛りしているのを見守りました。
ライトはタフで優しく、シエラレオネ共和国からの退避のさい指揮にあたった人ですが、キャンプにいた他の多くの人たちと同じく、これはいつもやりたいと思っていた意味のある仕事なんだという喜びを発散させ、暑さや混乱、不快といったささいなことなんて、どれひとつ気にしていませんでした。シンディは、
──これは、私に起こった最高に驚くべきことであり、たぶんこれからもありえないでしょう。これ以上にすばらしいできごとを望むことさえないと思います──と言いました。
そこにいたもうひとりの若い女性、ケリー・ドウアティは、元はコロラド州軍兵たちを母体とした「戦争に反対するイラク帰還兵たち(IVAW)」の共同創設者でした。彼女は、社会と国家のための任務を心から信じていたが、この戦争は自分が誓約した職務に反するものだという良識を、IVAWの若い人たちの多くと分かち合っていたのです。彼ら身だしなみのよい生真面目な若者たちは、戦争に従事して戦うさいに必要であるに違いないはずの同じ集中力、熱意、職務倫理を、戦争に対する戦いに持ちこんでいました。そんな彼らがそこには10人余り、あるいはもっと多くいました。彼らに対抗するのはとても難しいでしょう。
ブッシュと彼の戦争のせいで、生活を台無しにされた人たちに会いました。ある女性は、小学校の子どもたちに反戦論めいた何かを言ったために、インディアナ州の教職を失い、しかも劣化ウランが使われた場所に駐留している海軍の息子さんのことをひどく心配していました。ミズーリ州カンサス・シティから、とてもキュートな妻とハネムーンに来ていた25歳の青年は、身体が不随だったので、どこに行くにも、おつれあいに車椅子を押してもらっていました。彼は即製爆弾にやられた経緯〈いきさつ〉を語り、締めくくりに、
──あそこにいたあいだ、ぼくは人に向けて撃ったことさえなかったんだ──と言いました。
午後のあいだ、若い帰還兵たちは揃って泳ぎに出かけましたが、このカップルも一緒に行きました・・・
また、ミズーリ州スレイターから駆けつけたご年配の男性は、1957年から63年にかけて海兵隊員だったとおっしゃり、走行距離48万キロメートルのフォード・ピックアップにいつも寝起きしていましたし、[ミシガン州]カラマズーから来た二人連れやオハイオの人たちもいましたし、アメリカ・インディアン運動の4人の長老たちが来ていて、儀式を執り行ない、だれもが言うように、
──私は耳にしたので、来なければならなかった──と言ってました。
それに、どこにでも報道関係者たちがハエのようにいて、わんさかシンディを追いかけていました。ボイス・オブ・アメリカ[米国海外放送]の場違い男がでっかいマイクを突き付け、
──どなたがこういう物資を運んで来たのですか? どこから来たのですか?──と声をかけると、
──私たちだ──
──オハイオ!──
──カリフォルニア!──
──ミズーリ!──
などと答えがコーラスになって返されていました。
これが昨日のできごとであり、終日、私は巨大な、たぶん30x60メートルの白いテントの中か周辺かで過ごしていたのですが、これがキャンプ・ケイシー2で、みなさんがさらにブッシュの牧場近くで座りこめるようにと、ある牧場主によって無償で提供された土地に設営されています。
周囲の景観は、緑の大草原がうねり、小さなカシの木立ちが散在して、美しく、そしてハリケーン・カトリーナの西端が頭上に来ていました。IVAWの若い人たちは、ルイジアナ州軍とその装備はハリケーン襲来時の救援任務に投入されるはずだったが、どれほど多くの兵員・装備がイラク配備に割かれてしまったことかなどと話していました・・・
希望において、私が明らかにしようと務めてきたことの多く(彼女がやったことですが、世界を変えるために、人跡未踏の境地から出現したあれこれ)が、そして、理想主義と連帯の熱情が、洪水のように人びとをもろともに押し流す瞬間、ありえないと思えたものが、あなたに洗礼を施す素材になる瞬間が、ここにあります(ポーランド「連帯」の25周年にまつわるNPR[全米公共ラジオ放送]の番組は、これに対するうれしい反響になっていました)。
朝、キャンプ・ケイシーに道路を挟んで向かい合ったブッシュ支持派のキャンプは、ちょっと見には対等に張り合っているように見えますが、近寄って見ると、看板・プラカードや散乱物、テントなどに囲まれて泊まりこんでいるのは、まさしくひとりだけであると分かります(午後には、もっと多くの人たちがいます。ツルースアウト・サイトで読んだのですが、夜になって、この人たちは平和運動側のキャンプに合流して、兵士たちのためのキャンドルライトのヴィジル[夜間の祈り集会]に加わったとのことです)。
われらが大統領が、女たちと帰還兵たちと学校教師たちとインディアンたちとその他もろもろ、一群の人びとに人質に取られたのは、あっぱれな見ものです。まだまだ時間はかかるでしょうが、とにかくこれはひとつの奇蹟です。
Rより
( )は原文の注釈
[ ]は訳者の補注
〈 〉はルビ
レベッカ・ソルニット Rebecca Solnit はサンフランシスコ在住の作家。著書にアメリカ西部作家奨励賞を受賞した River of Shadows: Eadweard Muybridge and the Technological Wild West[仮題『影なす河──エドワード・マイブリッジと西部技術フロンティア』]などがある。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/booksea.cgi?ISBN=0142004103
邦訳書では、『暗闇のなかの希望──非暴力からはじまる新しい時代』井上利男訳(七つ森書館、05年3月)。
http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0596.html
増田れい子氏による朝日新聞書評。
http://book.asahi.com/review/TKY200504260233.html
この記事は、レベッカが井上利男など友人たちへ送ったメールの一部を翻訳したものである。
編集/安濃一樹
ヤパーナ社会フォーラム
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