Japana Sociala Forumo
抄訳/パンタ笛吹(TUPチーム)
4月22日 インタープレス・サービス
イリノイ州出身のマット・モーピン上等兵は、サダム政権が崩壊して以来はじめての米兵捕虜となった。しかし、この米兵捕虜1人に対して、米軍はすでに2万人のイラク人を拘置している。そのほとんどは、占領軍による乱暴な家宅捜査のおりに拉致されたイラク人たちだ。
去年の夏、ティグリス川のそばにあるアブ・シッファ村では、真夜中に米軍部隊が村を襲い、民家を壊し、若者たちを拉致していった。村の主婦レジャンは、以前は自分の家がそこにあった瓦礫の上に立ち、こう嘆いた。
──朝方になると、米兵は私たちを家から連れだし、外に立たせました。彼らに「どうしてこんなことをするのか?」と尋ねると、米兵は私たち女性を殴り始めたのです。そして戦車2台が来てマシンガンを撃ちまくり、その後ミサイル2発をわが家に向かって撃ち込んだので、家は粉ごなになりました──
「武器の摘発」を口実に村に侵入した米兵たちは、結局ひとつも武器を見つけることができなかった。それなのに、レジャンの息子たち4人を含む村人73人を捕まえて引き上げたのだ。
村人たちの話では、米兵は村の家々を捜査しながら大量の現金を盗み、引き上げるときには村所有の数台のトラックまで没収していったという。
その事件から9ヶ月がたち、拘束された73人の村人のうち、2人だけが容疑不明のまま釈放された。自由になったひとりが、レジャンの息子、15歳のアーメドだ。
──捕まえられてから最初の6日間は、有刺鉄線で囲まれた荒れ地に放置されたままだった。テントも毛布もないまま、太陽や雨にさらされ続けた。簡易トイレもないので、ぼくらはみなその場で排泄するしかなかった。夜はまた痛くて、まったく眠れなかった。なぜかって? 米兵が夜を徹して、ぼくらに石を投げ続けたからだよ──
結局、アーメドはバグダッドのアブ・グライブ刑務所に移された。刑務所で彼は、サダム時代に政治犯罪者が投獄されていた横90センチ、縦120センチの独房に入れられた。そこでアーメドは、屋外での運動もできなかった上に、家族や弁護士に会うことさえ禁じられた。
──夜になると、米兵はオオカミみたいな警察犬を独房の中に放り込んで、ぼくを怖がらせた。それも、毎晩だった。もう耐えきれなくて、赤十字の視察員に訴えて、やっと犬をやめさせた──
人権監視グループによると、アブ・シッファ村での拉致・拘束のような事件が米軍占領下のイラクで、あまりにもたくさん起きているという。
人権団体・アムネスティーは、米兵が拘束したイラク人たちを継続的に拷問にかけていると報告している。また囚人たちにズタ袋を頭からかぶせたまま放置したり、故意に明るすぎる照明をつけたままにして眠らせなかったりとのレポートもある。
米政府が指導するイラク人権省で働く弁護士サード・スルタン・フセインは、占領軍から、アブ・グライブ刑務所内に自分の人権相談所を設置する約束をとりつけた。しかしいまのところ、案内人つきの視察しかできないと、こう語った。
──刑務所内では、彼ら米兵が私たちに見せたい場面だけしか見ることができません。尋問室などには入れませんし、もちろん尋問の様子を視察するなんて認められません。米占領軍はアブ・グライブ刑務所に15000人の囚人を拘置しているのですが、その大多数が米軍に反抗的なイラク人政治犯です。他にも、イラク南部のウム・カスルに去年建てられた刑務所があって、7500人のイラク人が収監されています──
弁護士スルタン・フセインは、アメリカの占領政策はジュネーブ協定違反だと、こう訴えた。
──米軍占領での大きな問題は、米兵が気が向くままにイラク人を捕まえ、苦しめていることです。イラクの同朋たちがある日突然捕まえられ、姿を消しても、なぜ捕らわれたのか、いまどこに収監されているのか、誰も分からないんです。米軍は、イラク人家族との面会も禁じているわけですから、これは明らかにジュネーブ協定に違反しています──
筆者はこれらの訴えについて、アブ・グライブ刑務所を警護していた米兵たちに質問したが、彼らは口々に、「ノーコメントだ。それに答えることができるのは、空港駐留の高官だけだ」と言った。
空港駐留の米軍高官に同じ問い合わせをすると、高官たちは不在だった。
Aaron Glantz, "One US Hostage – and 20,000 Iraqi Hostages," AntiWar.Com, April 22, 2004.
http://www.antiwar.com/ips/glantz.php?articleid=2362
編集/安濃一樹
ヤパーナ社会フォーラム
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