Japana Sociala Forumo
評論 第141回 2004年7月15日
かつて世界は、米国をリーダーとあおぐ側と、これを帝国主義の大国とみなす側とに二分されていた。このバランスは、ブッシュ現政権になって劇的に変化した。世界の圧倒的多数が米国を危険な巨人とみている。おしなべて懸念を抱き、用心深くなっているのだ。かなりの米市民も自国の行方に同じ思いを抱いている。わたしの人生でも初めてのことである。
だれも分かっているようには見えない。それが「クオ・バディス・アメリカ?(米国よ、どこへ行く)」だ。これは世界政治において、少なくとも今後10年にわたる最も重要な問いである。その後は、どうでもよくなるか、少なくともさほどの重要性はなくなる。
というのは、米国は今、行方を決める岐路にあるからだ。11月には米大統領選挙がある。ブッシュ大統領とその政策への国内支持はこの一年で大幅に落ち込んだ。主として、イラク情勢による。
とはいえ、各種世論調査が指摘するように、ブッシュ支持の低下が、ケリー民主党大統領候補の支持上昇を伴っているわけではない。ブッシュ路線に不満な市民の多くは直観的に、ケリー候補が別の行動を取るのか疑問視しているのだ。
従って質問の第一はこうなる。ブッシュ路線がひっくり返るとすれば、道義的な権威を取り戻すために、米国がいかなる対案を打ち出せるか、ということだ。
ブッシュ後を模索
南北戦争の終結(1865年)からフランクリン・ルーズベルトの大統領就任(1933年)まで米政府は基本的に共和党の支配下にあった。その後、大恐慌に伴いニューディールを掲げる民主党が台頭、米国の政策に二つの基本的な変化をもたらした。福祉国家の成立と、孤立主義から積極的な国際問題関与への転換である。
民主党優位の国家に直面して、福祉国家、「多文化主義」「国際主義」に対する「保守的」反動が起きた。この運動の主導者たちは共和党を非中道の全面的な右派政党に変ぼうさせることに、救いを見いだした。保守派がなによりも必要としたのは、大衆基盤であった。その基盤とは、現在、キリスト教右派として知られる集団だった。
ニクソン政権からレーガン政権を経てブッシュ現大統領に至るまで、共和党は中絶、同性愛などの社会問題に対して着実に右旋回した。さらに福祉国家を解体させ、「国際主義」に代えて、先制攻撃の戦争に踏み切る権利に基づく単独主義を進めた。
イラク戦争の破たんにより、かつての中間派は戦争停止を語り「ブッシュ以外のだれか」を望んでいる。米国や世界にとって最大の問題はケリー候補が勝利したらどうなるか、である。
価値観の再考を
信じ難い赤字をやりくりして米国の生活水準を守ろうとする試みが、痛烈に明らかにしたことがある。減税の推進と、医療費、教育、老齢者保障への恒常的な出費増とは両立できないということだ。マッチョな軍国主義も、厳しい軍務に就くことをいとわない市民がいない限り、持ちこたえるのは不可能だ。
大統領選後は、世界各地から米国への圧力が急速に高まりそうだ。ほぼ不可避となったイラクからの米軍撤退(その時期はケリー政権下よりはブッシュ政権下のほうが恐らく早まる)は内外で敗北とみなされるし、米国内で激しい非難が巻き起こるのは必至だろう。
欧州も東アジアも米外交には次第に注意を払わなくなるだろう。米ドルは一段と弱体化する。核拡散は多分、当たり前のことになるだろう。
こうしたシナリオの中で、米国の立ち直りはあり得るのか。もちろん、可能だ。ただ、それは言葉の定義による。米軍展開がその限界に達し、犠牲者も相次ぎ、債務も記録的な水準に達している以上、終わったのは覇権の時代どころか、米国の「優位」の時代も、そして恐らく「指導力」の時代さえ終えんを迎えたのだ。
立て直しには米国が自ら価値観や社会構造、社会的な妥協点について、見つめ直すことが必要だ。過去三十年にわたる社会、経済、政治の分極化も克服しなければならない。これこそが、対外的な関与の再検討に直結する。
米国よ、どこへ行く? 一目置かれる国として再建していくのか、国内分裂で取るに足らぬ国となっていくのか。米国はその岐路に立っている。
2004年7月14日 共同通信配信
Immanuel Wallerstein, "Quo Vadis America?" Commentary No. 141 (July 15, 2004). http://fbc.binghamton.edu/141en.htm
著作権(2004年)
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