Japana Sociala Forumo
評論 第86回 2002年4月1日
ジオポリティクス【1】からするとジョージ・ブッシュは無能である。タカ派が誘導するままにイラク侵攻に賭けて、もはや抜き差しならなくしてしまった。イラクに侵攻すれば、米国にとってもどこの国にとっても悪い結果だけが残る。無理をすると彼は政治的に手ひどい傷を負うことになる。命取りになるかもしれない。米国はすでに衰退しつつある世界への影響力をいっきに失うことだろう。イスラエルのタカ派をやけっぱちの狂気に追いこんで、イスラエル国家を破滅させる。彼の果たす役割は劇的だ。
もちろん、悲劇の結末を見て喜ぶ人が世界には数多くいるかもしれない。 しかし問題は、ひきつづいて彼が戦争をやろうとしていることである。多くの人命を即座に奪い、アラブ = イスラム世界にこれまで想像もできなかった争乱を引き起こし、おそらく核兵器の使用を解禁することになる【2】。いったん解禁されると、再びそれを不法として封印するのは難しい。このように悲惨な cul-de-sac(袋小路)に、どうして私たちは迷い込んでしまったのか。
米軍がイラクにたいして行動を始めるのは、もはや可能性の問題ではなく時間の問題だと思われる。なぜこんなことになったのか。米国政府の報道官にこれを尋ねたら、イラクが国連の決議を無視して世界中に差し迫った脅威を与えているし、特に米国が脅かされているからだと答えるだろう。予定の軍事行動をこのように説明されても、根拠がきわめて薄弱だから、まともには受けとれない【3】。
国連決議や国際機関の指令を無視した例はこの50年間に掃いて捨てるほどある。国際司法裁判所がニカラグア事件で有罪をいい渡したのに米国が拒絶した例など、いまさら指摘する必要もないだろう【4】。米国の国益を損なうと思えば、ブッシュ大統領はどんな条約も尊重する気がないのは明らかである【5】。
誰もが知るように、イスラエルは国連決議を30年以上も無視してきた。私がこの評論を書いている間も無視し続けている。他の国連加盟国の行ないもほめられたものではない。そう、確かにサダム・フセインは国連決議の明白な要求を無視してきた。それが目新しいことだろうか? サダム・フセインがどこかの国に切迫した脅威をあたえているのか?
1990年8月、イラクはクウェートに侵攻した。少なくともあの行動は差し迫った脅威だった。その結果がいわゆるペルシャ湾岸戦争である。あの戦争で米国は、イラクをクウェートから追い出したところで攻撃を止めた。サダム・フセインはイラクで今も実権を握っている。国連はイラクに対し、核兵器・化学兵器・生物兵器を破棄するよう求める決議をいくつも出し、これを確認するため査察団を受け入れるよう命じた。また国連はさまざまな方法で輸出入を制限した。周知のとおり、あれから10年で現実の情勢が変わり、国連決議がイラクに課した制裁体制は、すべてではないにしてもかなり弱くなっている。
2002年3月28日、イラクとクウェートは合意に達し、イラクがクウェートの統治権を尊重するという文書に調印した。クウェートのサバ・アルアーマド・アルサバ外相が、わが国は「100%満足している」と述べた。合意内容の一字一句に満足しているのかと記者に質問されて、「あれは私が書いた」と語っている。ところが米国の報道官はこれを疑う声明を発表した。クウェートが 「満足した」 だけでは、米国を思いとどまらせることにならないらしい。クウェートはイラク攻撃に加わるのだろうか?
以前の時事評論で指摘したように【6】、武力の行使、それもきわめつきの大規模な武力行使だけが、世界システムにおける揺るぎないヘゲモニーを回復する道だと米国のタカ派は信じている。圧倒的な武力を使えばヘゲモニーが確立できるのは確かだ。1945年がそうだった。米国は武力でヘゲモニー国になった。しかしヘゲモニー国が衰退期に入ると、そうした武力行使は強さではなく弱さのあかしとなり、自国をさらに弱体化させるだけだ。米国のイラク侵攻を支持する国が今はどこにもない。アラブの国家はどこも支持しないし、トルコ・イラン・パキスタンも同じだ。ヨーロッパでも支持する国はない。
注目に値する例外がたしかに一つある。イギリスだ。というよりトニー・ブレアである。ただしブレアは自国で問題を二つ抱えている。一つは労働党内に反対勢力が生まれたこと。もう一つさらに重要なのは、3月17日の英オブザーバー紙が報道した次の事実である。
──イギリス軍の上層部が昨夜トニー・ブレアに厳しい警告を出した。「対イラク戦争は必ず失敗し、軍に多くの死者が出ても政治的に獲得するものがほとんどない」と。
米軍上層部がブッシュ大統領に報告するときは、これほどあからさまには言わないだろう。しかし彼らがイギリスと違う情勢分析をしているとは思えない。クリントン政権の安全保障委員会でイラク担当官を務めたケネス・ポラックによると、サウジアラビアかクウェートの基地から20〜30万人規模の軍隊を送りこむ必要があり、イラク北部のクルド人【7】を守るには、さらに派兵しなければならない。このためトルコの基地から陸路を使うか、他の基地からトルコ上空を通過して軍隊が送られるだろう。
米国は、「同盟諸国」 を脅して参戦させられると当てにしているらしい。シャロンがラマラを占領した後では、サウジアラビアの基地(ばかりでなくクウェートの基地まで)が使えるという淡い期待は消えてしまったようだ。トルコはイラク国内のクルド人を守ろうと決して思わない。自国のクルド人対策に全力を注いでいるからだ【8】。イラクのクルド人勢力を支援すれば、トルコ国内でクルド人運動の増長を招くおそれがある。イスラエルに関していうと、シャロンはできるだけ早くヨルダン川西岸とガザ地区を再占領し、パレスチナ政府をつぶしてしまうつもりのようだ。ブッシュはこれを99%支持している。
こうした見方が正しければ、イラク侵略戦争に勝つのは不可能でないにしても非常にむずかしい。兵士(特に米兵)に死傷者が増えて、結局は米国軍が事実上の敗退を余儀なくされるだろう。第二のベトナム戦争である。ブッシュ政権はだれもこれに気がついていないのか? 少数はいるだろう。だが彼らは無視されている。なぜか? ブッシュが自縄自縛に陥っているからだ。イラク侵攻を進めれば、ブッシュはリンドン・ジョンソンのように自分から辞めることになるだろう。あるいはリチャード・ニクソンのように恥をかくことになるかも知れない。
そうなれば、米国の失敗にヨーロッパは勇気づいて、単なる大西洋の向こう側の勢力ではなく、[米国に対抗しうる]真のヨーロッパになってしまう。
ではなぜ戦争をはじめるのか? ブッシュが米国民に「対テロ戦争」を提唱し、「絶対に勝つ」と約束したからである。
いままでにブッシュがやったのはタリバンをつぶすことだけで、ビンラディンを捕えることはできていない。パキスタンは当てにならないし、サウジアラビアは逃げ腰である。ここでイラクに侵攻しなければ、一番だいじにしている自国有権者の目には愚かに映るだろう。まわりで内政の助言をしている人たちが、彼にそうほのめかしている。信じられないほど高いブッシュの支持率は、「戦時の大統領」であるブッシュに与えられたものである。平和時の大統領になった途端、きわめて厄介なことになる。戦争の約束をほごにしたりすれば大変だ。
だから彼には選択の余地がない。ブッシュはイラクに侵攻する。世界中がそれに巻きこまれ、苦難に耐える運命にある。
イマニュエル・ウォーラーステイン
Immanuel Wallerstein, "Iraq: How Great Powers Bring Themselves Down," Commentary No. 86 (April 1, 2003). http://fbc.binghamton.edu/86en.htm
【1】山下範久(歴史社会学)によると、ジオポリティクスという言葉は、通常は地政学と訳され、特定の地理的な空間を条件として展開するパワーゲームに注目する政治分析を指すが、世界システム論においては、資本主義世界経済というひとつの空間的な実体を条件として、そのなかで展開する大国間の政治的・軍事的抗争のダイナミズムを指す。
【2】2002年1月に米国防省が議会に提出した「核戦略見直し報告」の一部が漏洩し、「予期しない軍事上の情勢変化」があれば核兵器を使用すると報告していることがわかった。これは抑止力としての戦略核から先制攻撃にも使える戦術核への転換であり、通常兵器と核兵器の境界線をあいまいにするものだと批判が高まっている。
【3】国連のロルフ・イキアス議長(イラク武器査察廃棄委員会)によると、湾岸戦争以来、「イラクの主要兵器の93%は破壊・廃棄」されたという。国連安全保障理事会の特別委員会は、1999年、イラクの主な生物兵器製造施設は「破壊された」と確認。国際核エネルギー機関(IAEA)は、イラクの核兵器製造プログラムは「効率よく実質的に」廃絶された、と報告している。
【4】1984年、ニカラグア政府は、米国がコントラ(反革命軍)を組織し、訓練指導や資金・武器を提供して軍事行動を行なっていると国際司法裁判所に提訴。86年、同裁判所はニカラグア政府の主張を大筋で認め、国際法に違反する「内政干渉」および 「武力の行使」で、米国敗訴の判決を下した。
【5】2001年5月、新型炭疸菌の開発を進めていたブッシュ政権は生物兵器禁止条約(BWC)の検証議定書案を支持しない意向を固めた。同年11月、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効促進会議をボイコット。12月には、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から、ロシアの合意をえられないまま、一方的に離脱した。
【6】評論・第79回「舞い降りた鷹は獲物をつかむか?」
【7】トルコ・イラク・イラン・シリアの国境が接する山岳地帯 「クルディスタン」 に2000万〜3000万人のクルド人が住む。世界最大の国家なき民族といわれ、イラク北部に拠点をおいて独立運動をすすめている。
【8】近代トルコ建国以来、国内の少数民族クルド人に対する迫害がつづいている。1984年、トルコ政府は東南部のクルド人勢力に全面攻撃を開始し、死者は3万7000人を超えた。84年から99年までにトルコ政府が輸入した武器の総額は105億米ドル(1兆4000億円)。その77%は米国の助成金で賄われた。
著作権(2002年)
原文に関するすべての権利はイマニュエル・ウォーラーステインが留保する。
翻訳に際しては、本人の許可を得た。
( )は原文の挿入語句。
[ ]は訳文の補助語句。
【 】は訳者による注釈。
訳/安濃一樹・別処珠樹
編集/安濃一樹
ヤパーナ社会フォーラム
http://japana.org/start.html
mailto:kazuki@japana.org